学歌・学生歌
学歌「Amour」は国信生によって広く愛唱され、学外のファンも多い校歌。美しい旋律も相まって、卒業式には学歌を聞きながら泣き崩れる卒業生もいるほど。上信越リーグや総合信塔戦では右手を高く上げ振り下ろすおなじみの動作で3番まで捧げられている。
学歌「Amour」
1.Year…この雄大なるピレネー山脈の
頂から眼下に見下ろすは愛しき我がPatrie
雷雨を貫いて自由の太陽は我々に輝き
世界にひとつだけのamour
2.Year…この学び舎の窓から高く
見上げるは愛しき我がSaint-Exupéry
雨風しのぎて我々は我々に刃を向ける
かりそめのAmour
3.Year…この碧き宙(そら)から深く
包み込むは愛しき我が母校(アルママータ)
信州りんごって意外と母からは忌み嫌われる
信州りんごのAmour
信州りんごのAmour
応援団歌
「自由の太陽」
1.うら若き血潮 騒ぎてわれら
集い起ちたり 国の総代(そうだい)
雷雨貫き植えよ正義
ああ ここに ここに生きん
国際信州学院 その名のもとに
2.アルプス颪に 誠(まこと)洗われ
猛く育ちぬ 国信健児
雨風凌ぎ芽吹け自由
ああ 好きに 好きに生きん
国際信州学院 その名のために
3.自由の太陽 その光うけ
われら為すあり 国の建設
碧宙(あおぞら)の下(もと)咲けよ未来
ああ 次に 次に生きん
国際信州学院 その名とともに
新風寮寮歌
(前口上)
仰げば北辰斜めに指すところ
荒み滅びゆく浮世を照らす一筋の光
永遠不滅にして燦然と輝く
思えば生受けて二十年余
萩上(しゅうじょう)の露のごと
限りある時の短きを忘れ
己が為に生くる人生の恥 実(げ)に多し
仰ぎ見れば飛騨穂高 東を仰げば霧ヶ峰
恵み豊けき安雲平のその一角に
聳ゆは国信 我が新風寮
学徒寮生高らかに
いざや短き青春の日を
歌わん哉 新風寮寮歌
(アン、ドウ、トロア)
1.ああ清らなり 梓川
星を数えし 夜は去り
東雲に染む 有明や
新風薫る 安雲野に
聳ゆ寮こそ我が棲家(すみか)
聳ゆ寮こそ我が棲家(すみか)
2.太平洋に 浮かびたる
清貧の国 大八州
百合と馨(かぐわ)し 仏国の
文武の術(すべ)を 学び得て
東西文化を 結びたり
東西文化を 結びたり
3.極泰西に 呼応して
天の怒りの 代理(かわり)とて
浮世を憂い 立つところ
今ぞ来れる この夜明け
自由の太陽 輝かせ
自由の太陽 輝かせ
学生歌「凱歌」
「凱歌」は1999年、硬式野球部の3部リーグ3連覇を記念して制作された。3連覇は先に例がなく正に「無敵国信」の名を欲しいままにした黄金時代である。現在でもリーグ戦優勝時や信塔戦総合優勝時に肩をくんで歌われている。
1.寺尾の杜に 春(秋)風吹いて
王者の印 覇権の冠
今ぞ頂く 男の子我等の
意気と熱とは 溌剌もゆる
国信 国信 讃えずやその名
巍々たり 巍々たり 国信
2.ふり仰ぐ塔に 三色旗鳴り
我等が校庭に 英雄は還る
迎える学徒の 肩組み歌う
凱歌の清さに 勝るもの無し
国信 国信 誇らずやその名
燦たり 燦たり 国信
3.学びの窓を 過ぎ去りとても
愉しき四歳を 忘るあらめや
マロニエ並木 蔦はう学舎
心の故郷は 固く揺るがじ
国信 国信 護らずやその名
我等が 我等が 国信
学生歌
「青春の息吹」
1.青春の息吹 清々満つる
理想ヶ丘に 我ら起てば
不朽の自由 永遠の平安
忽ちむねに 宿らんとす
国信 国信 とこしえにあれ
青春の息吹はわれに語るよ
「野球節」
(前口上)
青空晴れて風さやか
イザ草はらに繰り出して
やらうやらうぞ大ゲーム
バツト持ったかミツトはあるか
位置についたらプレイボール
ソラ 野球節
1.野球するなら
こういう具合にしやしゃんせ
ソラ しやしゃんせ
投げたらこう打って ソラ
打ったならこう受けて ハイ
ランナーになったらエッサッサ
アウト?セーフ!
ヨヨイノヨイ
2.バッターに立ったなら
じっくり構えて立たしゃんせ
ソラ 立たしゃんせ
ボールならこうよけて
ストライクこう打って
カーンと飛んだらエッサッサ
ファール?フェア!
ヨヨイノヨイ
「穂高よさらば」
アジア太平洋戦争で国信からも学生が次々と戦地へと送られていった。この歌は当時の学生金久里吉三が出征の際に恋人関係にあった後輩の夲昭夫(昭和22卒)との今生の別れを惜しんで泣きながら作詞し、詩を受け取った夲が泣きながら曲をつけたといわれている。卒業式や卒部の際に泣きながら歌われてきたが、現在では卒業式を晴れの日と見る風潮から歌われることが稀になっている。戦後金久里は一度も戦闘に参加することなく仏印から復員し、単位が足りず泣きながら中退している。
1.穂高よさらばまた来る日まで
奥穂に浮かぶ茜雲
返り見すれば遠ざかる
まぶたに残るシュウ・ゼリゼ
2.国信さらばまた来る日まで
西陽に陰るリンゴの木
返り見すれば遠ざかる
まぶたに残るコナン像
3.信州さらばまた来る日まで
君我の縁是迄と
返り見すれば遠ざかる
まぶたに残るアランソン
4.母校よさらばまた来る日まで
十円返せロシュフォール
返り見すれば遠ざかる
まぶたに残る三色旗
「エイサイ節」
「エイサイ節」は「南洋航路」やそれをもとにした「近大節」から着想を得て作成されたもので、後に加筆された3番を含め1950年にはすでに現在の歌詞が定着していたと推測される。テコンドーの型を取り入れて繰り出される中指を立てた突きはまさに圧巻、国信生の生き様と躍動を表している。
(前口上)
信州名物数々あれど 数ある中の名物は
荒野に香る桜花 我らが国際信州学院
遠くの者は音に聞け 近くは寄って目にも見よ
学生(がくせ)の仁義を知らねぇか
学生(がくせ)の意気を知らねぇか
パッと咲いたらパッと散る
1.花の男よ 国信健兒
チョット姉さん 気をつけな
俺等(おいら)に惚れても 責めるなよ
蜜の罠やら色仕掛け
易々かかる 俺等じゃないさ
エイサイエイサイ エイエイサイ
エイサイエイサイ エイサイハラマスコイ
2.粋な男よ 国信健兒
紋付羽織に破れ帽
ひらりかざして道行けば
一目(いちもく)見ない 者はない
国信大の 生徒(せと)さんじゃないか
エイサイエイサイ エイエイサイ
エイサイエイサイ エイサイハラマスコイ
3.強い男よ 国信健兒
競技の号笛(ごうてき)いま聞けば
いとも容易く いとまなく
砕けて散りぬ 敵の陣
敵に好機(じき)なし堅塁もなし
エイサイエイサイ エイエイサイ
エイサイエイサイ エイサイハラマスコイ
「麦芽の歌」
麦芽の歌(ばくがのうた)は1934年、毛利学長(当時)自身が作曲作詞し発表した。発表当時は「学長がまたなんか変なことを」という意見が多数だったが、終戦後、復員学生城島一三男(昭和24年3留で卒業)が戦争によって焼失した校舎と人生の目的を失った学生の姿を見て、母校の未来を憂い加筆した3番が当時の学生に愛唱され、現在にも受け継がれている。
1.冬に芽を出し 風に吹かれ
何度踏まれても 真直ぐに育ち
豊かに実る 麦芽の如く
豊かに豊かに 実れ国信
2.木枯しすさぶ 冬の夜にも
葉衣頼らず 愚直に耐えて
鮮やかに咲く 櫻の如く
派手にその花弁(はな) 開け国信
3.霜も降りたる 廃墟の庭に
焼跡の灰 養肥となして
豊かに実る 林檎の如く
豊かに豊かに 実れ国信